2007年度第2学期 「哲学史講義」「ドイツ観念論の概説」       入江幸男

       第4回講義(2007年10月31日)

 


       §4 フィヒテの知識学 基本的なスタンス

 

1.カント哲学に出会った後のフィヒテの出発点、二者択一の決断

 

カントに出会う前のフィヒテは、当時議論されていた、自由と必然性に関する問題について、時代の影響のもと、必然性の側に傾いていた。しかし、それは、彼の性格と一致せず、内面の深いところでは、不満足で不安定なままであった。しかし、カント哲学との出会いによって、彼は厳密な学問的世界認識と道徳的な自由の確信を統一する可能性を手にすることが出来た、といわれている。(3)カントに出会うことによって、フィヒテが手に入れたのは、一言で言えば<自由を保証するものとしての観念論の可能性>ということである。

 フィヒテは、一七九三年に「知識学」を発見し、それをまず『知識学の概念』(1794, 1798)『全知識学の基礎』(1794, 1802)として公表する。「自我は根源的に端的に自己自身の存在を措定する」(GAI/2, 261, SWI, 98)という第一根本命題が表現する「事行(Tathandlung)」から出発して、すべての経験を演繹するという観念論を主張する。フィヒテはこのような観念論を他の哲学との関係において、どのように捉えていたのだろうか。論文「知識学への第一序論」(1797)をもとにそれを見ておきたい。

 

そこにおいて、フィヒテは、我々が整合的に考えられる哲学体系は、観念論と独断論の二つだけであるという。これは経験を「自我」から説明する立場と、「物」から説明する立場である。では我々は、なぜ中間の立場つまり二元論をとれないのだろうか。フィヒテは、「二つの体系を折衷して一つにすることは必然的に不整合をきたす」(GAI/4, 193, SW1, 431)という。なぜなら、そのようなものは「物質から精神への、もしくは精神から物質への絶えざる移行、あるいは同じことだが、必然性から自由への絶えざる移行を前提とするような、こうした結合の可能性を証明しなければならない」(ibid.)からである。しかし、「物質から精神への移行」、つまり物質の作用から意識内容が生まれることを説明することは出来ない、また「精神から物質への移行」、つまり意図したことを身体行為に移すことの説明も出来ない、とフィヒテは考える。(この二つの問題は、現代では、心身問題と心的因果の問題と呼ばれているものである。サールによると、現代の多くの哲学者もまた、二元論をとらない。心身問題に関して欧米社会の一般の人々は、多くの場合二元論を採用しているが、しかし心身問題の専門家で二元論を採るものは非常に少なく、ほとんどは一元論論者である。ただし、観念論者ではなく、唯物論者である。(4)

 ちなみに、フィヒテは当時のカント解釈が、物自体を認めて、カントを二元論として解釈することを強く批判する。

 

「カンティアーナたちのカント主義は、[・・・]物自体が我々の内に印象を引き起こすとする、最も粗雑な独断論と、あらゆる存在が知性の思考によってのみ生じ、それ以外の存在については何も知らないとする、最も決定的な観念論との、異様な合成を実際に含んでいるということは、私にはあまりもよくわかっている。」(「知識学への第二序論」GAI/4, 237, SWII, 483)

 

フィヒテによれば、ラインホルトもシュルツもカントをこのように解釈していた。現代の多くのカント研究者もまた、物自体を認めてカントを二元論として解釈するのではないかと思われるが、フィヒテならばこれに反対するであろう(その理由は、後述する)。ただし、フィヒテは、当時のBeckのカント解釈については、このような独断論的なカント解釈を批判するものとして高く評価している(Vgl. GAI/4, 203, SWII, 444)。

 

 ところで、フィヒテは、二元論は不整合で維持し難いというだけでなく、二元論を整合的に考えようとすると唯物論にいたると言う(GAI/4, 197, SW, 437)。その理由の一つは、次のように説明される。二元論者は「存在から表象への移行」を説明できず、この飛躍を隠そうとして、「心は決して物でもなければ、まったく何ものでもなく、物同士の相互作用の結果として生まれたものにすぎないであろう」(ibid. )という唯物論的な説明を行うようになる、とフィヒテは言う。(これは、現代の心身問題の議論での唯物論者からの二元論者に対する批判と同じである。)

以上のような理由で、フィヒテによれば、観念論と唯物論の二つの体系だけが整合的な体系であるが、しかしこの二つは、全く共通点を持たないので、互いに論争することが不可能であり、理性によってこの論争に決着を付けることは不可能である(Vgl. GAI/4, 191, SWI, 429f.)。そうすると、ここにもう一つの可能性が登場する。それは懐疑論である。観念論と唯物論の間で決着がつかないとき、フィヒテはなぜ懐疑論をとらなかったのだろうか。『第一序論』では、観念論か唯物論かの選択は、理論的に出来ないので「決断」よって行われるのだが、その決断は、「関心」に基づくとされる。この関心は、後に見るように道徳的な関心である。この「関心」が、ここでフィヒテが懐疑論をとらない理由であるように思われる。他方で、『全知識学の基礎』では、懐疑論は自己矛盾しており、「だれも本気で懐疑論者であったものはない」(GAI/2, 280, SWI-120)と述べている。

理性的に考えて結論が出ないときには、結論を留保することが、確かに知的に誠実な態度であろう。結論が出ないということが、現在の研究段階における一時的な状態であり、将来改善される可能性があるというのならば、結論を留保することが知的に誠実な態度である。しかし、理性的な議論で結論を出すことが原理的に不可能であると思われるだけでなく、他方で懐疑論が論理的な矛盾を抱えているとするならば、その場合には、「関心」にもとづいて立場を選択するということも、知的に不誠実な態度だとは言えないだろう。

観念論、独断論(唯物論)、二元論、懐疑主義、などの立場がある中で、こうしてフィヒテは、我々に独断論か観念論かという選択をしなければならないことを説明し、観念論の採用を決断する。以上が、フィヒテが「知識学」を主張し始めたときの立場の選択に関する基本的な了解であった。一八〇一年以後の知識学では、この基本的了解に変化が生じるのだが、それについては、後に述べたい。

 

2、『全知識学の基礎』(1794)の構成

第一部 全知識学の根本命題

1、第一根本命題

自我は、根源的に端的に自身の存在を措定する。

„Das Ich setzt ursprünglich schlechthin sein eignes Sein.“(98)

2、内容に関して制約された、第二根本命題

自我には、端的に、非我が反措定される

„so gewiss wird dem Ich schlechthin entgegengesetzt ein Nicht-Ich.“(104)

3、形式に関して制約された、第三根本命題

私は、自我の中で、可分的な自我に対して、可分的な非我を反措定する

„Ich setze im Ich dem teilbaren Ich ein teilbares Nicht-Ich entgegen.“(110)

第二部 理論的な知の基礎

理論的根本命題

「自我は、自己自身を、非我によって制約されたものとして措定する」

„das Ich setzt sich selbst, als beschränkt durch Nicht-Ich.“(126)

 

「表象の演繹」(ヘーゲルの『精神現象学』に影響を与えたといわれている)

第三部 実践的ものの学の基礎

実践的根本命題

「自我は、非我を、自我によって制約されたものとして、措定する。」

„Das Ich setzt das Nicht-Ich, als beschränkt durch das Ich.“(125)

 

 

このような事行が、フィヒテ知識学の出発点であるとともに、そこから全ての知が演繹される原理である。このような「事行」は、その後のテキストでは「知的直観」と呼ばれることになる。

ただし哲学者が事行をとらえるのも、知的直観であるといわれており、「知的直観」は「事行」よりも多義的に用いられる。

 

3、知的直観の必要性:『知識学の新叙述の試み』(1797)での「知的直観」

 

 この時期のフィヒテが、普通の意識の中に働く「事行」=「知的直観」として具体的に示すのは、「行為の直観」と「思考の意識」である。思考も行為の一種であるので、思考の意識は行為の直観の一種である、と言うことも出来る。しかし、フィヒテが行為の直観を語る場合には、ある行為をしようと意図して、次にその行為が生じるという心的因果の説明が念頭にあるのに対して、単に「思考の意識」という場合には、ある思考を意識するということの説明が念頭にある。

 

フィヒテは、ありふれた対象についてのありふれた意識、例えば壁や机の意識が、知的直観によって可能になることを次のように説明している。

 

「君は何らかの対象――例えば対面する壁――を意識することによって、君がたった今認めたように、本来的にこの壁についての君の思考を意識しているのであり、かつ君がこの壁の思考を意識する限りでしか、壁の意識は可能ではない。しかし君の思考を意識するためには、君は君自身を意識しなければならない。君は君のことを意識している、と君は言う。君はそれにより必然的に、君の思考する自我と、その思考において思考されている自我とを区別する。しかし君がこれを出来るためには、その思考において思考する者が、意識の客観となりうるために、ふたたびより高次の思考の客観でなければならない。すると、君は同時に新しい主観を獲得し、この主観は以前に自己意識であったものをふたたび意識している。」( GAI-4, 274f. SW1, 526)(下線は引用者)

 

このような説明は無限に反復することになる。この困難をフィヒテは、次のように解決した。このようになってしまう理由は、「どの意識においても主観と客観は相互に切り離され、各々が別個のものとみなされる」ということにある。したがって、この主張が間違っているとすればその反対が真である。つまり「主観的なものと客観的なものとがまったく分けられず、絶対に一であり、同一であるような意識が存在する。」(GAI-4, 275, SW1, 527)

 この意識は「直接的意識」であり、フィヒテはこれを「知的直観」(GAI-4, 278, SW1, 530)と呼ぶ。そして、この直観は、「定立するとして自己を定立すること(ein sich Setzen als setzend)」であり、単なる定立ではないと言う。もし単なる定立であれば、定立するものと定立されるものが別のものと見なされることになる(Vgl. GAI-4, 277, SW1, 529)

 以上が、フィヒテの説明である。この議論は正しいのだろうか。(6)

 

4 フィヒテ観念論の徹底性あるいは純粋性

「君がこの壁の思考を意識する限りでしか、壁の意識は可能ではない。」というのは、正しいのだろうか。私が壁を見ることは、私が壁を見ることを意識するのでなければ成立しないのだろうか。むしろ、たいていの場合、私が何かを見ているとき、私はそれを見ていることを意識していないように思われる。信号機を見ているとき、信号機を見ていることを意識していないように思われる。もちろん、壁を見ているときに、必要に応じて、壁を見ていることを意識することは可能である。もしかすると、壁を見るためには、壁を見ていることを意識することが可能であるということが、成り立っていることは必要であるかもしれない。(カントがあらゆる表象には「われ思う」が伴いうると述べたとき、そのように考えていただろう。)しかし、現実に壁を見ていることを意識していることは、必ずしも必要ないのではないか。おそらく一般にはそのように考えられている。

しかし、フィヒテはそのようには考えないのである。なぜだろうか。

フィヒテにとって、意識や表象は、実体としての自我の作用や属性として存在するのではない。もしそうならば、意識以外に、実体としての自我が存在する事になる。このとき自我そのものはもはや意識ではないことになる。それはいわば物自体としての自我である。この場合には、物自体と意識の両方の存在をみとめる二元論になるだろう。

フィヒテは、バークリ哲学を観念論ではなく、独断論だと述べている。その理由をのべていないのだが、それは次のように想定できる。たしかにバークリは、「

存在するとは知覚されることである」という観念論を主張したが、しかし主観の存在については、知覚されることであるとせずにそれを実体と考えたので独断論である。

フィヒテならば、<存在するとは、意識されること(あるいは知られること)である>と言うだろう。例えば、これに似た表現はある。フィヒテは「あらゆる存在が知性の思考によってのみ生じ、それ以外の存在については何も知らないとする」のが「最も決定的な観念論」(「知識学への第二序論」GAI-4, 237, SWII, 483)であると述べている。ところで、このテーゼは、意識する自我についても妥当するはずであり、自我が存在するとは、意識されていること、つまり自己を意識しているということになる。さらに、意識や表象そのものについても同様である。意識や表象が何かの作用や属性ではなくて、それだけで存在するにしても、それが存在するとは、意識されることないし表象されることなのである。フィヒテは「観念論」という立場を徹底的に考えていたと言えるだろう。